
- 最新の「やりたいことリスト」で書いた通り、昔見たり読んだりした映画や本で再度追体験したいものをリストアップしていってます。
- リストアップした映画の中から、「リトル・ロマンス」と「小さな恋のメロディ」を観ましたが、中学生頃に観た恋愛映画は感情移入が難しくなっていることが分かりました。
- ジャンルを変えて、寺山修司さんの映画「田園に死す」も観たところ、恋愛映画よりはストーリー、映像や音楽のインパクトを感じました。但し、その世界観にどっぷり浸れるかというとちょっと難しかったです。
今回は小津安二郎さんの映画「東京物語」を見直しましたので記載します。

若い頃と退職した現在との感じ方の変化にご興味があれば読んでみて下さい。






経緯
- 「東京物語」は1953年の小津安二郎監督の白黒日本映画です。あらすじは、尾道に暮らす老夫婦が東京の2人の実子と1人の義理の娘を訪ねるお話です。東京からの帰りに妻が体調を崩し、大阪の実子も訪ねることになりますが、尾道に帰って亡くなります。実子と義理の娘の老夫婦への対応の違いや親と子の期待のすれ違いなど感情模様の切り取り方で考えさせられるところが色々ある映画です。
- 中学生か高校生位の時に観て、老夫婦の夫役の笠智衆さんが強く記憶に残りました。その後、小津安二郎監督のローアングルの知識を得たりして、確か「秋刀魚の味」を観ましたが、やはり笠智衆さんが良かったということしか今は記憶に残っていません。
- あまり「こんな人になりたい」と思うことは少ないのですが、年を取ったらこれらの映画の中の「笠智衆さんのようなおじいちゃんになりたいな」と当時感想を持ったのを覚えています。
- その後も、映画の主人公の考え方や職場の上司や同僚の能力に憧れることはありましたが、こんな人になりたいと思うことはほぼ無かったので、映画の中の笠智衆さんは自分にとって珍しい存在です。



映画の中の笠智衆さんに近づいた年齢になった現在ではどう感じるのか観てみました。
「東京物語」を観た感想
白黒ですが、風景など映像がきれいな映画でした。笠智衆さんと内容に分けて記載します。
笠智衆について
- 驚いたのが、最初にアップになった笠智衆さんが記憶より全然若いということです。完全におじいちゃんの記憶しか残っていなかったのですが、肌の色つやが記憶していたより若いです。
- 笠智衆さんは役の上では72歳ですが、当時の実年齢は48か49歳だったとのことです。実年齢は今の自分より若いことがわかってショックです。知らぬ間に「東京物語」の笠智衆さんの実年齢を超えていました。役者さんで老け役のプロとはいえ、いまの自分の方が笠智衆さんより年を取ったおじいちゃんというのは受け入れるのに抵抗があります。



男性が年をとったと感じるのは高校野球の選手が年下になった時というのはよく聞きますが・・・
- やはり昔と同様、笠智衆さんが良かったです。こんなおじいちゃんになりたいという感覚も全く変わりませんでした。
- 特に目を見張る演技やセリフがあるわけでは無いのですが、何か落ち着きますし、優しそうな人柄がにじみ出ているようで観ていて飽きません。
- ゆっくりとした語り口と間の取り方、表情、動き全てがどこにでもいそうなおじいちゃんに思えて、現実にはなかなか見かけなくなったおじいちゃんです。
- 喋っている内容も「そりゃそう言うよな」という当たり前のことを裏切らずに喋っているだけなのですが、笠智衆さんの表情と声で聞くと安心感があるのが不思議です。情報としては特に新しいものは何もなく、他の方が喋れば退屈に感じさせそうな内容なのですが、情報以外の何かが伝わってきます。
- かつては年取った方の人生経験が若い人にも役に立ったのでしょうけれど、最近は新しい情報の方が価値が見い出されやすいです。新しい情報を取得する機器の扱いでも高齢者は若者についていくのが難しくなってきています。



スマホまではついて行けていますが、もっと小さいデバイスになるとついて行ける自信がありません・・・
- おじいちゃんになって情報について行けなくなっても、居るだけで何か安心感や落ち着きが伝わるような存在になれればというところが憧れの本質ではないかと感じました。
- 私が子供の頃は、近所で遊んでいると道端の椅子に座った好々爺といった感じのおじいちゃんがニコニコと見守ってくれていることがありました。最近は余裕が無くなったのか、怒っているおじいちゃんの方を目にすることが多いように思います。
- 今でも車中泊で地方の温泉に行くと、何か人生の深みを感じさせる年季の入った表情のおじいちゃんに出会う機会が多いように思います。ご本人はそんな雰囲気が出ていることなど思いもしないので、日常のお風呂を自然に楽しんでいるだけなのだと思いますが。


- これから自分ももっと年を取って、体の自由もきかなくなって、介護の方に頼る機会もでてくるのだろうと思います。その時に不機嫌に「あれやって、これもやって」というよりも、笠智衆さんのように温かみのある表情で「ありがと」と言えるようになれればと思います。
- 映画の中の笠智衆さんが主体的に選択せず、流されているところも何か魅力のヒントではないかと感じます。自分の選択をはっきり示したところは「尾道にそろそろ帰ろう」というところ位ではないでしょうか。その選択もストーリーを追って行けば「そう思うよな」という自然な選択です。強い自己主張や不満の改善を求めず、流されながらも受け入れて、最低限の判断を下しているところも良くわからない魅力を感じます。



時間がっ経って見直しましたが、笠智衆さんの魅力に引き込まれたのは全く昔と変わりませんでした。
「東京物語」の内容について
あらすじは先に書いたとおりですが、夫婦で東京に出ていくというところ以外全く忘れていました。観ながら義理の娘の夫婦への対応の優しさを思い出しましたが、当時内容をどう感じたまでは思い出せませんでした。今回は内容面でも感じたところは記載しておこうと思います。



当時ストーリーよりも笠智衆さんの魅力の方がインパクトがあった映画だったのだと思います。
すれ違い
- 夫婦は東京の2人の子供の家に泊めてもらいますが、どちらの子供もそれぞれ町医者と美容院の仕事に忙しく夫婦の相手ができません。東京観光に連れ出そうと計画はするのですが、急な仕事が入ったりして難しい状況です。
- 当時は親子間の会話でもこれほど敬語を使ったのかと思う位、気遣いはしっかりされていて、子供側の「せっかく来てくれたのに悪いな」という気持ちと、親側の「忙しいのに悪いな」という気持ちは伝わってきます。
- 当時の旅行で家に泊めるというのがどれほど一般的だったのかわかりませんが、狭い家に無理して泊めています。今ほどホテルなど無かったのでこのような形式が一般的だったのだろうと思います。
- 今の自分は、親が観光したいから家に泊めてくれと言ってきたら、抵抗があると思います。ホテル代は出すのでそっちに泊まってくれるように言いそうです。自分の子供が家庭を持って会いに行くとしても、家に泊めて欲しいとは言わないと思います。ちょっと寄らせて貰って話をしたら、自分で宿をとってそっちに泊まった方が気疲れしません。
- 私の母親は子供の家に泊めて貰いたがるタイプです。この辺は個人の考え方なのか、世代の考え方なのか、家制度の一体感なのか、これから自分ももっと年を取るとそうなるのか、よくわからないところでした。
- 親の側も子供の側ももっと時間の取れるときに、一緒に熱海に旅行に行くなどもっと楽しめる過ごし方ができただろうにという感想でした。



スケジュールの立て方不足で親も子もどっちも不幸になるすれ違いですね。
義理の娘
- 実の子供とはスケジュールが合わない夫婦ですが、実の息子が戦死したため一人で暮らしている義理の娘が夫婦に優しく接します。
- 夫婦の実の娘からのリクエストで、仕事を休んで東京観光に連れて行ったり、家に泊めてもてなしたりと実の子供に夫婦が期待していたであろうことを、義理の娘が行います。
- 夫婦の妻が亡くなった後も、実の子供はすぐに帰ってしまうのに、義理の娘はしばらく尾道の夫婦の家に残ります。


- 実の子供たちは家庭を持って、生活があるので仕方ない面もありますが、義理の娘の優しい心遣いが対比され強調されます。
- 義理の娘は元々優しい性格だったのかもしれませんが、夫を戦争で亡くし、一人で生活を送る中で寂しさに対する感受性が高まっていたのだと思います。夫婦への悪気の無いけど、ある種心無い実子の振る舞いを見て、心尽くしの対応をせざるを得なかったのだろうと推測しました。



「遠くの親類より近くの他人」は物理的距離ですが、心情や価値観の距離が近い方が頼りになるのかもしれません。
葬式後の会話
- 妻が亡くなったお葬式の後で、父が席を外しているときに、「母よりも父が先に亡くなってくれた方が良かった」と実の娘がいうシーンがあります。笠智衆さんのような優しそうな父親でもそう思われるのだろうかと違和感がありました。
- 古風な父親なので家事ができない心配をしての言葉だったのではないかと思います。私自身も父が他界して、母が長生きする形になりましたが、どちらかが一人になった場合は母の方が安心です。父が一人だったら、生活が荒むのではないかという危惧が大きいです。おそらく私の子供も私に対して同じように感じるのではないかと思います。
- 妻が亡くなった朝、近くのお寺で「きれいな夜明けだった」というシーンがあります。しばらくは寂しさは感じるでしょうが、笠智衆さんのようなおじいちゃんなら周りの方からも気に掛けられ、自然の変化や日々の小さなうつろいに楽しみを見出してやっていけるように感じます。



笠智衆さんのような安心感を与えるおじいちゃんでも子供から見ればそうなんですね・・・
一人で老いていく難しさを感じたシーンでした。
まとめ
- やはり笠智衆さんに魅力を感じました。こんなおじいちゃんになりたいという感覚も全く変わっていませんでした。



学生時代に友人に憧れを語って笑われたのを思い出します。憧れる時期としては早すぎますね。笑われてもしょうがないです。
- 「これから同じような状況を経験することは無いだろうなと感じることでストーリーに入って行き難くなっている」と以前の映画の感想で書きましたが、「東京物語」は年齢が近づいてきたためか、親の立場、子の立場、老後の過ごし方と考えさせられる視点が多かったです。
- ただ、現在のままでは笠智衆さんのようなおじいちゃんにはなれそうにないですね。「やりたいことリスト」を作って主体的に選択していく自由もありますが、流される自由もあるように思います。現在はまだやりたいことがあり、悪く言えば我が強い状態だと思います。笠智衆さんのようなおじいちゃんのような”選択をしない流される自由”とは反対の位置にいるように思います。
- 一方で今選択をしない流される自由を真似しても、退屈で活力がなくなり後々後悔しそうです。「やりたいことリスト」をやって満足感が得られたら、選択をしない流される自由に入っていくのかもしれません。



これまでの経験で選択をしない流される自由に一番近い感覚は、「ぬる湯の露天風呂で風に揺れる木々の葉を眺める」かなと思います。


おまけ
笠智衆さんのようなおじいちゃんになるにはどうすればよいかを私の普段使っている(私向けのバイアスが入っている)AIに相談しました。AIの結論部分だけ以下に記載します。
笠智衆的なおじいちゃんの「安心感」とは、積極的に何かをする力ではなく、“余計なことをしない力”によって成立している存在です。目立たず、急がず、教えず、裁かず、自分の人生を静かに引き受けた結果として、他人を安心させてしまう存在です。
① 表層:行動・態度の特徴(目に見える部分)
- よく話さない/説教しない
- すぐ結論を出さない
- 怒らないというより、感情を荒立てない
- 身だしなみが地味で、いつも同じ
- 若い人の選択を評価・是非判断しない
“安心感がある”と感じられる直接要因です。
② 中層:対人スタンス(人との距離の取り方)
- 相手を「変えよう」としない
- 理解できなくても、否定しない
- 正しさより「その人の人生」を尊重する
- 黙って味方でいる(同意ではなく、離脱しない)
共感もしすぎず、拒絶もしない、非常に中庸な距離を保っています。
③ 深層:人生への態度(安心感の源泉)
ここが一番重要で、かつ多くの高齢者が失敗する部分です。
- 自分の人生を他人のせいにしていない
- 過去を恨みとしてではなく「物語」として語れる
- 「まあ、こんなものだろう」と引き受けている
- まだ何者かになろうとしていない
笠智衆的安心感は「優しさ」ではなく、自己処理の終わった人間が放つ副産物です。



AIは纏めるのがうまいですね。「自己処理の終わった人間が放つ副産物」なんて言葉は私からは出てきません。それっぽいですがよくわからないです・・・
退職前後の私自身が実際に行った年金・保険・住民税などの手続き、資産運用、旅行に関しては以下のカテゴリーでまとめています。
